優秀な発明者でありながら、独学で時計職人となったアントワーヌ・ルクルトが1833年にスイスのル・サンティエで最初のアトリエを設立したのがジャガー・ルクルトの起源である。
設立から11年後の1844年にアントワーヌ・ルクルトはミクロンを発見する。物理学者でも、エンジニアでもなく、時計職人によるミクロンの発見。アントワーヌの作った「ミリオノメーター」の精度の高さ、なによりも、アントワーヌの作る部品がそれぞれいかに完璧に仕上げられ、寸分の狂いもなく組み上げられたかということをあらわしている。この、当時世界でもっとも正確だった測定装置は、その後半世紀以上にわたり測定基準としての役割を果たしてきたというから、ジャガー・ルクルトの技術力の礎はこの当時すでに確立されていたと言えるだろう。
その後も、竜頭巻きの発明、世界最小のムーブメント、世界最薄キャリバーの発明など、現代の腕時計を生み出すうえでの大きな役割を担ったことは疑うべくもない。
時は過ぎ、アントワーヌの孫であるジャック・ダヴィド・ルクルトはエドモンド・ジャガーと出会い、協力してムーブメントの開発などをおこない1937年にはジャガー・ルクルトが誕生するにいたった。 |